2008年6月20日金曜日

命日

今日はタケちゃんの命日。
去年までは、毎年、命日は仕事を休んでいた。
今年は、七回忌の法要を先にすませたこともあり、
普通に出社して仕事をしている。
もう6年もたったのだから、普通に仕事をすることの方が
タケちゃんの供養になるのだとも思えるようになった。

昨日、タケちゃんの奥さんに会って
野球部の同期からかき集めた香典を渡した。
少しお茶を飲みながら話したが、
話は専ら、タケちゃんの息子の話だった。
タケちゃんの息子は来年高校生。
僕とタケちゃんが出会ったのも高校一年生のときなんだよな。
あれから四半世紀だよ。随分な時が流れたもんだ。
俺の残りの人生もあと四半世紀くらいかな。
しかしそう考えると、まだ、いろいろありそうだとも思えるな。
頑張ろう。

2008年6月9日月曜日

タケちゃん 七回忌

昨日の日曜、タケちゃんの七回忌の法要に出てきた。
6年たっても、僕は未だに現実をちゃんと受け入れきれていないところがあったりする。
ただの友達の僕でさえそうなんだから、家族はもっとたいへんだろうとも思うけど。
でも、それでも、タケちゃんの子供たちがすくすくと育っている様子には、
随分と気持ちが救われる思いがした。
何よりこの子たちの未来の幸せを祈りたいと思う。

2008年6月5日木曜日

友達

今週末は親友のタケちゃんの七回忌の法要がある。
2002年、僕が38歳になった次の日にタケちゃんが37歳でこの世を去った。
僕の人生において一番悲しい出来事だった。
無二の親友の自殺。これはこたえた。
特に僕はどちらかというと、プライベートでは、広く浅く社交的というよりは、
そんなに数多くはない友達と深く長くつきあっていくという
付き合い方しかできない方だったりするし、
タケちゃんは、ある部分では家族よりも心許しあった仲だったから。
そんな友達はもう死ぬまでできないのではないかと思うと、
今でも、底なしに寂しい気持ちになることはある。
いろんなことがどうでもよくなりそうに落ち込むこともある。

タケちゃんが死んでから2度目の冬のことだっただろうか、
当時小学校5年生だったかな、タケちゃんの息子君に奥さん(お母さん)が
「お父さんが死んじゃったことどう思う?」
とたずねたことがあったそうだ。息子君はこう答えたそうだ。
「死んじゃったものは仕方ないよ。でも、僕はお父さんみたいなことは絶対にしないから、
お母さんは心配しないでいいよ。」
息子君の受けた傷はもちろん僕なんかの受けた傷を
はるかに超える深い傷であることは想像に難くない。
でも彼は前を向いて生きている。だから僕も前を向いて生きていこうと思う。
 
僕は、棺桶には野球道具を入れてもらおうと思っている。
あの世でタケちゃんとキャッチボールがしたいからである。

でも、それまでは、俺はこっちで生きぬくよ。
それまでゆっくり休んでいてくれ。タケちゃん。