2009年5月25日月曜日

火災警報器



来年の4月までに設置が義務づけということなので、煙式の親子セットを楽天で購入。親機と子機の間は直線距離で15メートルほど、しかも親機は2階で子機は1階、かつ、子機の部屋の木製のドアを閉めた状態でも電波はつながりました。台所には熱式がお勧めとの説明が一般的ですが、うちは、親機を2階の端っこの台所(写真右上)にせざるを得なかったので、全部煙式にしましたが、焼き魚を七輪で焼くとか、炎をぼおぼおあげての本格的中華料理とかをしない限り、普通に食事の用意をしている分には誤動作はなさそうです。3個セットで2万円強、子機追加1個につき8千円程度です。 まあ、法律だからしょうがなくつけたけど、結局一回も役にたたなかったね、となることを祈るばかりです。

2009年5月18日月曜日

コンサルタントの習慣術



ベストセラーになっている本を何となく買って何となく読んでみた。目から鱗というほどのことはなかったが、成功に至るには、正しい方法はあるが近道はないことを、再確認する意味ではよい本だと思う。
ひたすら目標を立てて決心する、とにかく頑張る、というだけでは習慣化は成功しない。習慣化にはコツがある。それをひと言でいえば、「習慣化のプロセスをマネジメントするという発想と技術だ。(中略)習慣化をマネジメントするポイントは「①見える化」「②ランドセルサイクル」「③愚直さ」である。
①は自分の状態(作業の進捗状況等)を客観的に見える状態にしておくこと。
②は常に先回りして早め早めに物事に着手しか余裕をもってたづけていくこと。
③は①②の習慣を愚直に継続すること。
である。
「着眼大局・着手小局」で日々の行動の意味・目的を明確にする。
という言葉も、特に、これからの日々の中で忘れないようにしようと思う。




2009年5月12日火曜日

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

連休中に、DVDを観ていたのだが、その内容の重さに、軽々しくコメントしがたく、少しでも考えがまとまらないかと、連休明けから、警察側の視点から書かれた本も読んでみた。しかし、僕には、彼らを断定的に評価する適切な言葉がみつからない。視野狭窄は危険であり悲しいことだ。くらいは分かるが、それだけで済む話なのかどうかは分からない。分からないが、とにかく哀しい物語である。


2009年5月8日金曜日

ROOKIES 卒業

テレビドラマの映画化。社内試写で鑑賞。ど真ん中真っ直ぐの映画だった。奇をてらわずに、あのテレビドラマのテーストをそのままにパワーアップした感じなので、テレビドラマが好きだった人はすっごく楽しめると思う。甲子園に行くのは、そんな簡単じゃねえよ!ってところも元高校球児としてはなくはないのだが、そんなことは、この映画の場合はどうでもいいとも思える。あまり細かいことは気にせず素直に楽しめば、ほんとに楽しい映画である。おじさんは素直に楽しみました。5月30日公開!

2009年5月2日土曜日

ピクニック

上の子供は朝から学校行事、下の子供は、昨晩からお友達の家にお泊りで不在の連休2日目。朝食後、嫁さんと二人で、大井ふ頭(写真右)まで、歩いてきた。犬を連れてのんびり歩いて片道徒歩40分くらい。しおさいドッグラン(写真左)で犬を30分ほど遊ばせた後、公園のベンチで持参のおにぎりとパンを食べて、また40分かけて歩いて帰ってきた。久々のピクニックは、天気も気分もよく、いい運動になった。

2009年5月1日金曜日

スラムドッグ$ミリオネア

メーデーで会社は休み。映画の日ということで、昨年に引き続き、嫁さんと二人で映画を観た。感想は、痛快!傑作!面白かったー!嫁さんは「踊るマハラジャ」のような軽い楽しさを予想していたらしく、「面白いけど、ちょっと重かった」とのことだったが、僕はとことん能天気に楽しんでしまった。昨今のアカデミー賞作品は重厚でシリアスな作品が多いが、この作品は大人の娯楽作品として出色の出来栄えのいかしたエンターテインメントだと思う。ちょっとスパイシーではあるので、その点だけは好みが分かれるやもしれぬが、決して小難しい映画ではなく、理屈抜きで楽しめる映画なので、普段あまり映画を観ない人にもお勧めできる。GWに何か1本と思っている方はぜひどうぞ。

2009年4月29日水曜日

ノルウェイの森

20年前の大ベストセラー、社会人1年生のときに読んだ小説を20年ぶりに読み返してみた。生と死、セックスと愛についての物語である。物語の中で主人公のワタナベ君は、親友を自殺で失うのだが、初めてこの物語を読んだ24歳のとき、僕自身がその10数年後に、まったく同じ体験(親友の自殺)をすることになるとは夢にも思っていなかった。人生はほんとに何が起こるか分からない。喪失からの再生。それは失ったものを取り戻すということではなく、もう取り戻せないということを受け入れて、それでも生きていくことを是とするか否かの問題なのだとこの小説を読んで思った。20年前はそんなことを考えもせずにこの物語を読んだのだろうと思うが…。

20歳の頃、好きになった女の子に「女が20歳超えたら結婚を前提としないで男の人と付き合うことはできない」と言われたときは、心底驚いたものだ。純粋な恋愛のひとつの結果として、結婚があるというのは理解できたが、恋愛の「前提」に結婚があるというのが、その頃の僕には全く受け入れがたいことだったのだ。恋愛に「前提」があるっていうのが、人間としてすごく不純な感じがしたのだ。それから、少しだけ大人になって今の嫁さんと出会った。根本的な恋愛観は変わっていなかったが、その一方で最初から結婚を意識していた。2年半つき合って結婚した。それから15年たったが、まずまず円満である。(向こうは、いろいろ不満もあるだろうが、こっちは特に不満はない。)すっかりおっさんとなった今日この頃では、恋愛観なるものは、心のずっと奥底の方に埋もれてしまっていて、めったなことで表面に出てくることはないが、でも愛について思うところの根本的な部分は変わっていないような気がした。20年の時を経て、この小説を読み返してそんなことを感じた。小説を読むという行為はそれ自体人生を豊かにするよね。読書は楽しい。