2007年10月25日木曜日

禁煙6日目

 昨日は禁煙草を6本吸った。今日も6本の予定。朝食後1服、仕事を始めるときに2服、昼食後に3服、午後3時頃4服、夕方仕事の終わりに5服、夕食後最後の6服というペースだ。これを2日に1本ずつ減らしてゆき、11月3日(土)から完全禁煙に突入する予定だ。
 一服すると、確かに一時的に気分はハイになることが多い。1日に1本だけとかですませられるなら、それもいいかなとも思う。いやいや、それは絶対駄目なんだけどね。一服してしまうと、必ず一服ではすまなくなってしまうから。覚悟を決めて、俺は一生吸いまくるぞと決めるか、禁煙するか、どちらかしかないのだ。
 少し気分が塞ぐ時は、ニコチンの魔力に頼りたくなるときもあるが、ここまで来たら、最後まで行こう。禁煙6日目、まだ、喫煙欲求はある。が、それを我慢することが耐え難い苦痛であるほどではないという感じ。まあ、やり過ごそうとしっかり意志を持っていれば吸わずにやり過ごすことも可能という感じだろうか。
 子供も煙草やめてほしがってたしね。自分のためでもあるけど、家族のためとも思って我慢、我慢。我慢していればその分きっといいこともあるよね。

結核!?

 昨日になっても熱が下がらなかった嫁さんは、ただの風邪ではないかもしれないと思い、朝から少し大きなT病院に検査にいった。すると、いきなりレントゲンを撮られて、「結核の疑いありです」と言われた。
 それから、鼻からパイプを通して胃液を採ったり、肺をCTでスキャンしたりして、結局、その日の午後には、結核の疑いは晴れ、ただの「肺炎」という診断がくだったのだが、午前中、電話で「結核かもしれない」と嫁さんから言われたときは暗澹たる気持ちになった。
 弁理士試験の勉強は、とりあえず一文にもならない。というか出費ばかりがかさんでいく。おかげで、その分、家族に贅沢をさせることができない。それなのに、勉強があることを理由に、家のことは、一切、妻に押し付けているのが現状だ。
 いや、ほんとに、申し訳ないと思っている。そのうえ、結核!?そりゃないよ。と思った。「肺炎」だってこじらせれば命に関わる病気なのだから、それでよかったというのもおかしな話だが、結核というのは、昔とちがって不治の病ではないにしても、完治するまでは、場合によっては1年以上の療養が必要らしく、とりあえず1週間の安静で入院もせずにすんだことは、まあ、不幸中の幸いであったといえる。ほんとによかった。
 これは多分、嫁さんのことを、もうちょい大事にしろよという、神様からの警告に違いない。わかりました。気をつけます。

2007年10月23日火曜日

妻 発熱 娘 働く

 昨日、妻が熱を出してダウン(39.5℃)。7歳の娘は、誰も頼みもしないのに、自分でお風呂を洗って沸かして、食器を食器洗い機にポンポン放り込んでいく。「ママがいない分私が…」とか、口には出さないが、黙々と自分がやると決めたことをやっている。いい娘だ。
 その後久々に娘と風呂に入った。いつもはママと入るのだが、一人で入るのはあまり好きでないようで、「しょうがないなーパパと入ってやるか」といったところだったのだろうが、最近誰かと風呂に入ったことのなかったパパは楽しかったよ。

禁煙4日目

 
人生3度目の禁煙にトライ中(一応半年以上の禁煙に成功したのが過去2回、失敗に終わったものは、数知れず) 。
 先週末のプロキャリアの特許セミナーの終わった後に、ホテルの喫煙スペースで最後の一服をしてから、土、日、月、そして今日、火曜日と禁煙を続行している(禁煙草は吸っている)。土、日、月はつらかった。特に月は、何度自分に負けそうになったことか。今日、4日目、まだ喫煙欲求はあるが、禁煙を続行することが、心身ともに、大分、楽になりつつある。禁煙草を2~3時間に1本ペースで一日7本。明日は6本、明後日は5本、と減らしてゆき、来週中には、完全禁煙体勢に移行するつもり。最初の3日は相当につらかったが、そこを禁煙草でなんとかやり過ごせたので、後は何とかというところだ。過去2回の禁煙も同じようなペースで禁煙草を併用しながら一応成功している。ここまで来たら、今後もある程度の意志は必要であるにしても、最初の3日間のような苦しさはもうないはずだ。とりあえず、11月の23~25日までの3連休、そこまでは、強い意志をもって禁煙を続行していきたい。
 半年たっても喫煙欲求が完全に消滅するということはないかもしれないが、これまでの経験上では、1ヶ月我慢できれば、とりあえず禁煙をさほど意識せずに禁煙できるようにはなる。(食後とかに、いちいち「一服」を意識しなくなる。煙草の自販機の前を通り過ぎるとき、無意識で通り過ぎるようになる)
 と、いうわけで、今週一週間は、禁煙最優先週間ということにして、ストレスのかかる勉強などはお休みしている。まあ、どこかでこの休みを取るなら、今が一番いい時期だと思うので、今週いっぱいは無理せず、ゆるゆると、ゆくつもり。とにかく、間違ってもちょっと一服ってなことにならないことを最優先に過ごしていくことに決めてしまった。
 弁理士への道、第2ステージの勉強は、ノンスモーカーとしての再出発を兼ねて来週から本格始動ということで。

2007年10月19日金曜日

TOEICとウォークマンと基本情報技術者

 
弁理士の資格はとれても、実務経験なし、技術系素養なし、では、先がつらそうなので、先のために、情報系の素養と英語力をつけようと思っている。昨日、アイテックの基本情報技術者の通信教育を申込み、TOEICの入門書2冊を購入し、リスニング用にウォークマンを購入した。 ウォークマンは一番安い1Gのタイプにしといたが、それでも16時間音声を保存できるのだから充分だ。カセットのウォークマンとはまさに隔世の感である。

 夜、基本情報技術者の予習を兼ねて、去年資格を取った情報セキュアドの基本講座のDVDを視聴した。久々に2進数とか16進数とかビットとかバイトに触れた。かなり忘れているが、一度は理解したことなので、基本はなんとかなるだろう。とりあえず、来年の春に基本情報技術者、秋にソフト開発技術者の試験に合格することが目標だ。

 で、今朝はウォークマンで英語のリスニングを行いながら通勤した。英語は高校までは得意科目だったが、そこで止まっている。20年のブランクはうまるのだろうか?語学についてはクリティカルエイジを超えていてもう駄目だという説もあるが、まあ、やるだけやってみるしかない。リーディングに関しては、大学受験時のレベルに戻せばけっこういけると思うので、なんとかなると信じることにする。こちらは、まず来年の春までに600点、来年中に750点、再来年の誕生日(6月)までに800点を目指すことにしている。

 煙草は結局プカプカ…。週末から禁煙することにした。

2007年10月17日水曜日

禁煙草

 
試験が終わったら禁煙するつもりだった。試験が終わってから2日目の今日も普通にプカプカ吸っている。今日でやめよう。去年の7月から今年の1月までの半年と今年の2月から今年の8月までの半年、2回禁煙して、2度とも半年で禁を破ってしまった。3度目の正直だ。でも明後日からにしょうかな…。いや、明日からだ。明日から禁煙草三度出動だ。

2007年10月15日月曜日

弁理士 口述試験

本日、弁理士試験の最終試験である口述試験を受験してきた。
合格発表は11月6日(火)なのであとは結果待ちだが、多分大丈夫だと思う。
各科目とも1回ずつくらい助け舟は出してもらったが、沈黙やパニックに陥ることはなく、まずまずスムーズに最後の質問までたどりつくことができた。(3科目でCが2つ以上なければ合格なのだが、特実と商標は時間が少しあまって最後はなごやかに雑談だったので、少なくともこの2つの科目でCということはないと思う。)
もっとガチガチに緊張するかと思ったが、緊張感が足りないよりはかえって集中力が発揮できる程度のほどよい緊張の度合いだった。1回目の模試のときの方がよほど緊張した。
昔から、わりと試験というものには強かった。緊張等で力を発揮できなかったということは一度もない。
家で練習問題を解いてるときに解けないような問題が、本番では火事場の馬鹿力で解けてしまい、結局、本番のときがどの模試よりよくできたというパターンがほとんどだ。というか、それだけで試験というものを乗り切ってきた感もある。
今日もその類である。家で過去問を見ながら自問自答している分には、分からなくて解答をみてしまうであろう質問が2つほどあったが、2つとも、なぜだか、とっさに、それなりに正しいであろう答えがどっからともなく頭の中に降りてきて、それを、そのまま堂々と答えることができた。
まあ、今日のところはよかった、よかったということで、よいと思う。ああよかった。
ただ、試験はスタートラインに着くための予選みたいなもので、だから、1日、2日はちょっと休憩するけど、また、すぐに本番(実務)に向けて勉強を再開するつもりでいる。ここまで来てしまえたから言えることかもしれないが、丸腰で特許業界に参入しようとしている僕にとって、この試験の合格は、試験にうかるための勉強を早く切り上げて、次の勉強に進めるようになったという意味しかない。これからが大変なのである。まあ、そういう意味で早く切り上げることができそうなことはよかった、よかったなのだけど。
道は険しく長い。でもそれを楽しんでいきたいとも思う。

2007年10月12日金曜日

クロックス


昨晩、娘(小学二年生)に「クロックス」のサンダルが届いた。
「お友達はみんな持っている」そうで、前からほしがっていたのだが、
僕と妻は「学研のプリントが2年生の分全部終わったらね。」と
条件交渉に持ち込みつつしぶっていたところ
娘は「ママのバカ、いじわる。」という捨て台詞を日記に残しつつ、
そそくさと僕の母(つまりおばあちゃん)に直接交渉し、
自力(?)でクロックス・ゲットに成功してしまった。
先週末に妻と母と娘の3人で自由が丘の靴屋を回ったがサイズがなく、ネットで探しあてて、注文したのが、やっと昨晩届いたのだった。
娘はさっそく家の中で履いていたが、少し履いた後、
サンダルの底についたマリィ(ビーグル・♀3歳)の毛を丁寧に台所の水道で洗い落としていた。
 「靴なんだから、底が汚れるの当たり前じゃん。そんなのいちいちいやがってたら履けないじゃん」
と上の息子(小学六年生)が正論をはいたが、娘はまったく無視して大事そうにクロックスを箱の中にしまっていた。
 僕は30年ほど前に母に買ってもらった「パンサー」のことを思い出した。
僕が小学校の五年生くらいの頃だったろうか…。当時流行りだしていた「パンサー」というスニーカーがあった。
当時僕がいつも履いていたいわゆるゴム底のひもなしの運動靴は多分300円くらいのものだったと思う。
パンサーは980円とかだった気がする。今になれば最初のうち親が買いしぶった気持ちはよくわかる。
でも友達の履いているパンサーがうらやましくて、さんざん駄々をこねた僕に、結局母はパンサーを買ってくれた。
ある日「これで買ってきなさい」と言って1000円札を僕に渡してくれた。
僕は靴屋まで走っていって青いパンサーを買った。
その日は、嬉しくて寝るまで部屋の中で履いたまま歩き回っていた。
その後、何足靴を買ってもらったり買ったかわからないが、あれが一番嬉しかったな。と、そんなことを思い出した。

2007年10月10日水曜日

早起き

口述試験まであと5日。今日は朝5時に起きて勉強をした。本番は午前中だから、当日、午前中に頭が冴えわたるように、今のうちから朝型ペースにしようと思って、2,3日前から早起きを続けている。しかし朝5時で思い出したが、20数年前、桐蔭学園高校の野球部の下級生のときは、毎朝5時起きだったな。緑が丘駅5時49分発。毎日、判で押したように、それに乗って登校。1本でも乗り過ごすなんてことはありえなかった。で、帰りはだいたい市ヶ尾駅発21:…、たしか17分とかだったと思う。(ううん…、これは朝型と言えるのだろうか?)帰ったらだいたい10時頃だったもんな。ほんとに家は飯食って寝るだけの場所だった。往復の電車の中の時間は生理的に必要不可欠な睡眠時間だった。帰りはしばしば寝過ごした。それでもバットの素振りだけは毎晩欠かさずやってたんだから、あの頃の僕はけなげなもんだ。泣けてくるぜ。上級生になって、緑ヶ丘6:39発に乗れるようになったときは嬉しかったな。でも、そんな渦中にいたときは、決して、充実感にあふれてギンギンに前向きでばかりいたわけではなかった。むしろ、単純明快に「つらいことばかり」な毎日だった。でも、おやじになった今振り返る分には、悪くない思い出だったりする。幸福な高校時代だったといえるんだろうな。
さて、いつか老人になったとき、「今」のことを悪くない中年時代だったと思えるだろうか…。まあ、そんなことはおいといて、とりあえず、目の前の5日間、悔いを残さないように頑張ろう。明日も5時起きだ。

2007年10月7日日曜日

15時間睡眠

風邪で頭が重く、集中して勉強できる状態ではなかったので、7時過ぎに床に入り、今朝は昼近くまで寝た。15時間近く寝たことになる。よくこんなに寝れるもんだ。しかし、睡眠が功を奏したのか、風邪の症状は1日で軽減し、まだ、多少、鼻はつまっているが、頭が重いのはすっかり治ってしまった。
勉強予定は大分遅れてしまったが、こじらせて、頭が重い状態がぐずぐず何日も続くよりはよかったと思う。しかし15時間睡眠は最近なかったよな。いつ以来だろ。

2007年10月6日土曜日

風邪

昨晩は、春秋会主催の口述模試を受けてきた。本試験と同じ会場(ホテル)で行なわれたので、下見も兼ねて行ってきた。結果はまずまずといったところか。多少、助け舟もだしてもらいながらではあったが、まあ、C(不合格)はつけられないだろうという程度にはこなすことができた。本番も同じようにできればいいのだが…。
で、今日から3連休。いよいよラストスパート、といかなくてはならないところだが、困ったことに風邪をひいてしまったようだ。昨日から、普段はほとんどでないくしゃみが、時々でるな、と思っていたのだが、今日は朝からくしゃみと鼻水、昨晩あまり寝られなかったことも合わせて頭が重い。午前中、予定の半分くらいしか勉強がすすまなかった。これ以上ひどくならなければいいのだが…。
しかし、季節の変わり目で、急に涼しくなったこともあり、季節柄、風邪をひいてもおかしくないことを考えれば、今週でまだよかった。当日、熱でもでたら、しゃれにならないわけだから。まあ、ひいちゃったもんはしょうがないので、ここは、よい方に考えておこう。そうそう全てがスムーズにはいかないわな。やれやれ…。

2007年10月5日金曜日

口述模試

昨晩は、会社が終わったあと、「弁理士クラブ」の口述模試を受けてきた。あと10日ほどに迫った弁理士試験の最終試験である口述試験の模擬試験である。口述試験では、特許法・実用新案法、意匠法、商標法の総合的な理解と知識が試験官との面接による一問一答形式で試される。ここで落とされる人間は1割くらいしかいないのだが、ただの1割ではなく、全受験者の中ですでに7%くらいに絞られた人間の中での1割だから、やはり不安はぬぐえない。論文式試験の成績が芳しくなくギリギリで通った人間には、厳しい質問がされ、答えられないと落とされるという説もあり、それがほんとだとすると、僕の場合もギリギリで通った人間に該当している可能性がけっこうあるので、ますます状況はシビアだ。
で、模試の様子としては、
最初の商標のとき、商標権の移転の要件が、頭の中で混乱し、しばし沈黙してしまった。模試の先生にあとからアドバイスされたが、「とにかく、全部分らなくても、分っていることだけでも、なんかしゃべった方がいいですよ。」とのことだった。
口述試験では「沈黙」は「金」ではなくて「禁」ということらしい。「以心伝心」とか「目は口ほどにものを言う」もここではありえないのだ。
別の先生には「たとえば意味もなく微笑むとかもした方がいいかもしれませんよ。」とも言われた。「さあ、なんでも聞いてくれ」と、気合を入れていたいただけなのだが、そんなに恐い顔をしていたのだろうか?スマイル!?でも、問題がわからないときに、助けをもとめて、にやにや微笑んでも助けてもらえないだろうしな…。まあ、相手も人間だから少なくとも敵意は感じさせない方がいいとは思うが、この辺はわざとらしくなりそうだから、まあ、普通にやろうと思う。
といった具合だった。
ちなみに今晩も別の会派(春秋)の模試がある。そして次は本番だ。
あと10日、最後の(最後にしたい!!)弁理士受験生生活を悔いの無いように過ごして行きたい。

2007年10月3日水曜日

弁理士口述試験まであと12日

最後の関門である 弁理士口述試験に向けて日々勉強中。
合否に直接大きな影響はないのだろうけど、
「なぜ弁理士になりたいのですか」
ということについては、質問される可能性があるので、これもコンパクトにまとめておいた方がよさそうだ。
先日のLECの模試では、この質問に対して答えに窮し、しばし沈黙してしまった。
そもそものきっかけは宣伝部から法務部への異動だった。そして、どうせ法律に携わるなら、本格的に法律の勉強をしたいと思い、ちょっと調べてみた範囲では、弁理士の仕事が一番面白そうだったというのがとっかかりだった。発明の権利化をサポートするって、どこか映画の宣伝とマインド的には似ている気がしたし…。
それと、もう一つ、その頃読んだ本(「法とは何か」)にあった「芸術は美を追求する。法は正義を追求する。」という言葉が、僕にとっては大方向転換の大きなきっかけでもあった。いや、もちろん、仕事にしたら、そんな、かっこいいことばかり言ってられないのであろうことは容易に想像はついたが、でも、根本的なところには、そういうことが、きっとあるはずだとも思うし…。
あともう一つは、勉強そのものがしたかったというのもあった。大学時代は体育会に所属していて、それはそれで、いろいろあって、他では体験できない感動もあり、それなりに幸せな時間は過ごせたのだが、でも、大学時代にちゃんと学問に取り組まなかったというのは、正直、僕の中で小さくない悔いとして残っていて、それをどこかで取り戻したいという気持ちもあった。
と、いうことやら何やらで、結局のところは「人生の後半戦、いっちょやってみるか!」、と、いうくらいの大雑把なノリで、法律そのものや弁理士という職業について漠然としたイメージ以上の知識は持ち合わせていないまま、とりあえず走り始めちゃいましたというのが実際のところだ。その決断は、僕の人生の中でもけっこう大きな決断だったんだけど、なぜか、そんなに迷いはなかった。そこからは、けっこう大変だったけど…。
ああ、あれから2年か…。ここまで来たら、何としても今年合格したいものだ。
ムム、全然コンパクトにまとまってないぞ。
まあ、いいか。「現場思考(出たとこ勝負)」でなんとか乗り切ろう。