2007年12月31日月曜日

大晦日

結婚してから、年末年始は一年も欠かさず、
富山の嫁さんの実家に帰っていたのだが、
今年は長男が受験のため、
結婚して初めて、自分の家で年を越すことになった。
今、家族4人で年越しそばを食べ終わったところ。
家族4人の健康を感謝、僕が弁理士試験に合格したことに感謝、
そして、お願いします。来年、長男が合格しますように。

2007年12月25日火曜日

サンタクロース

 
サンタクロースを小学校2年の娘はまだ信じている。
 今朝、その娘にサンタクロースからピンクのDSが届いた。
 よかったね。
 パパも嬉しいよ。
 パパは小学校1年生までサンタを信じていた。
 幼稚園のとき、サンタはほんとうはいないという
 友達と、サンタはいると言い張って、
 ケンカをしたのを覚えているが…。
 そろそろ、今年が最後のサンタかな?○○ちゃん。
 いい思い出になってくれればそれでいいと思う。

2007年12月19日水曜日

膝の上の娘

昨晩のこと。

僕と妻の寝室のベッドに娘が寝転がっている。
「今日はパパとねようか?」と僕。
「駄目。ママと寝るから、パパは○○ちゃんのベッドで寝て。」
「いいじゃん、パパと寝ようよ。」と言って僕は娘の傍らに転がり込む。
「駄目。無理。」と言って娘は僕をベッドから蹴落とす。

くそ!かわいくねえな。
しかし、まあ、父親はこんなもんかと、引き下がり、寝室を出た。

翌朝、つまり今朝

起きてソファーで朝ドラのスイッチを入れると、
ぴょこんと、僕の膝の上に飛び乗る娘。
くそ!かわいいぞ。
いつまで僕の膝の上に飛び乗ってくれることやら。

ちなみにうちの娘は8歳。小学校2年生です。

2007年12月18日火曜日

親不知

昨日、左下の親不知を抜いた。歯茎の中でみごとに水平方向に伸びて、
側面が少しみえていただけで、ほとんどの部分は歯茎の下に埋もれていた
やつを、ほじくりだして引っこ抜いた。
頬がかなり腫れたので、午後から出勤するつもりだったが、
一日休んでしまった。
今日もまだ左頬が腫れているが、薬が効いているのか、痛みもないし、
親不知の抜歯で2日休むわけにもいかず会社には来ている。
抜いた歯以外にも2本、虫歯が発覚。
そんなに丁寧に歯をみがかないわりには、
虫歯が少ないのが自慢だったのだが、ここに来て少しまずい兆候。
ちゃんと朝晩歯みがこう。

2007年12月8日土曜日

桐蔭学園野球部15期

高校の野球部の同期の忘年会に行ってきた。
同期15人のうち8人が集まった。
楽しかった。
しかし卒業してから25年…。
8人の中でも
いろいろな境遇のやつがいる。
自分は、現状には全然満足していないけど、
でも、まだ恵まれている方だ。
昼間、30過ぎて理系になるのは無理だという
見解をネットでみてめげたけど、
そんなことでめげてられないよね。
可能性はあるんだし、トライする機会もあるんだから
やるだけやってみればいいじゃん。
そう思うことにして今日は寝る。

2007年12月6日木曜日

チャンスはピンチの顔をしてやってくる。

 友達の一人が、3年ほど前の年賀状に、書き添えて送ってくれた言葉である。
 その年の3月に、宣伝部から法務部への異動を命じられたとき、
 うろたえそうになる僕をその言葉が支えてくれた。
 法律への世界へのステージチェンジが、僕の人生にとってピンチだったのか
 チャンスだったのか、それは、まだ、もうしばらくたってみないと分からない。
 千載一遇のチャンスだったのだと、振り返れるように今を生きていきたい。

2007年12月5日水曜日

弁理士クラブ主催 新人弁理士向け短期集中セミナー【第3回】「知財訴訟の現場はどうなっているのか。訴訟に強い弁理士になるには」

裁判における弁理士の役割についての話が前半。
イ号物権特定までは弁理士が主導。それ以降は、弁護士が主導というのが
一つのパターン。
いずれにしろ知財訴訟で弁理士の果たす役割は大きい。
裁判はたいへん。忙しい。夜中、土、日、に打ち合せも当たり前。
裁判をやりたかったら裁判をやっている事務所に入らないとチャンスは少ない。
チャンスが巡ってきたときに、チャンスを生かせるように勉強しておくことが大事。
法律を運用面も含めてどこまで深く理解しているかが勝負になる場合多し。
と、いう話だった。

後半は審査基準を勉強しよう。という話だった。
特・実で食っていくつもりなら、審査基準を深く勉強すべし。
という話だった。

久々に知的刺激を受ける話を聞けた。
これからもまだまだ勉強し続けていかなくてはという気にさせられる内容だった。

最近、勉強に関するモチベーションの低下に悩んでいたので、
そういった刺激を受けれたことが最大の収穫だった。

2007年12月2日日曜日

英語教室

先週から毎週日曜日の午前中から昼過ぎまで、
TOEIC対策の通学講座に通っている。
今日は2回目。
まだまだ圧倒的にボキャブラリーが足りない。
リスニングも基本的な単語でも聞き取れないときがある。
でも、英語を学ぶこと自体はそれほど苦痛ではない。
教室で先生のあとについて音読するのは、
なんかノスタルジックな感じもあり、楽しくもある。
高校のとき、英語の授業は嫌いではなかったし。
しかし、大学では、まったく勉強しなかったからな。
18歳をピークにしてその後ゆるやかに低下し続けて25年。
うーん。なんとかなるのだろうか?
なんとかするつもりではあるけどね。
とりあえず、今は自分の客観的なレベルもつかみかねているので
年が明けたら、とりあえず1月の試験をお試し受験してみるつもりでいる。

2007年11月30日金曜日

合格祝賀会プライベート版

昨晩は、弁理士試験合格のお祝いということで、宣伝部時代の二人の元上司が
一席設けてくれて、夕食をご馳走になった。
宣伝部の仕事は相変わらず不条理で人間臭くてヘビーな様子だった。
「ついこの間も
家族と過ごしている休みの日に突然携帯がなって
旅行を切り上げて、
夜中に現場にいって、
頭を下げて、話をまとめて、そして
朝方帰ってきた」という話を聞いて
自分もそういう世界にいたんだよなあ、よくやってたなあ、と思った。
なんだか遠い昔のことのような気がする。
受験勉強はたいへんではあったけど、生身の人間とのぶつかりあいの厳しさはないからな。
自分が頑張るかさぼるかだけだから、そういう意味では簡単なことだったとも思う。
一人で頑張り続ける難しさはそれでそれであるけどね。
弁理士になれば、当然、クライアントや発明家の方々とのぶつかりあいはあるのだろうけど、
肉弾戦なら、ちょっとやそっとのことではもう驚かないと思う。
その点だけが、キャリアといえばキャリアかなと思った。

2007年11月28日水曜日

ファイト!

ファイト! 戦う君の歌を 戦わないやつらが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を 震えながら昇ってゆけ




中島みゆきの「ファイト!」

この歌を最初に聴いたのは18歳の頃だった。

25年後の初冬の朝、また、この歌を聴きながら、駅までの道を歩いた。

ファイト!!!!!!!!

2007年11月27日火曜日

弁理士クラブ主催 新人弁理士向け短期集中セミナー第2回「権利化業務におけるキャリアの作り方。信頼される弁理士になるには」

弁理士といえどもサービス業。
何のサービスかというと、
ビジネスを成功させるためのサポートをするサービスである。
法律や技術についてのプロであることはもちろんであるにしても
プレゼンテーション能力やコミュニケーション能力も同等に必要である。
法律についていえば、法律頭でっかちにならないで、
ビジネスの成功のためという視点を常に忘れないようにすること。
技術についていえば、専門家と同等の高度な技術知識はまずいらない。
発明者の言っていることがちゃんと理解できて権利化できればそれ以上はいらない。
大学が理系か文系かというのも極論で言えば実質的には関係ない。

と、いう話だった。

プレゼンテーション能力やコミュニケーション能力はそれなりに培ってきたものが僕にもある。
それは人並み以上のものがあることは自負するところだ。

何かやれるかもしれないという気になったな。
まあ、あまり一喜一憂しないで、粛々と、目の前のできることをやっていくだけだが。
何か状況が変わったわけではない。課題は山積のままだ。
でも望みがないことはないな。明日からまた、がんばろう。

2007年11月26日月曜日

京都・六甲

23日~24日。母と娘と僕の3人で、京都、六甲に行ってきた。
息子は受験勉強のため今回は不参加。妻もそれに伴い不参加。
23日は、まず京都の知恩院に父の墓参り。
ほんとのお墓は山陰の父の生家の近くのお寺にあるのだが、
父が学生時代を過ごした京都にも分骨してあるので、
毎年、この時期、母と知恩院を訪れている。
それから、阪急電車で長岡天神に行って、長岡天満宮に息子の合格祈願。
長岡天神に母方の祖父母が住んでいたので
縁があることもあり、今回、息子のことをお願いするために参ることにした。
合格祈願セット(お札、お守り、絵馬、合格鉛筆、合格はちまき)
3800円也が社務所で発売中だったので
ありがたく購入した。
その後、六甲に向かい、山上のホテルに宿泊。
24日は六甲山牧場六甲山フィールドアスレチックで過ごして
帰ってきた。
牧場では昼食にチーズフォンデュを食べた。
アスレチックは写真を撮りながら娘について歩いただけだが
起伏の多い山道を1時間ほど歩いたので、それだけで
けっこういい運動にはなった。
娘が帰り際に新神戸の駅から妻に「とーっても楽しかったよ」と
メールを打った。
僕もとーっても楽しかった。と思った。
受験が終わったら、
息子にもとーっても楽しい思いをさせてやりたいと思った。

2007年11月22日木曜日

弁理士クラブ主催 新人弁理士向け短期集中セミナー

弁理士クラブ主催 新人弁理士向け短期集中セミナー
「大増員時代、夢のある自らの将来像をいかに描くか」
に参加してきた。

一般論としては、競争は激しくなり、生き残るには
自己研鑽を積んで専門性を高めるべしということだったと思う。
楽観的に言えば、それなりの自己研鑽を積んで
専門性を獲得すれば、道は明るいととることもできる。という話だった。

まあ、でも、一般論はもういいや。わかりました。という感じ。
情報理論でいうところのエントロピーがそんなには多くないですなってところか…。
(いやちょっと違うかな、情報量ってのは相対的なものでなくて絶対的なものらしいから。
かじりかけの知識を中途半端にひけらかすと恥をかくぞ!!と一人呆けツッコミ)
もちろん、一般論はそれはそれとして
知っておく必要はあると思うので、そういう意味では
今日のセミナーが僕にとって無意味だったというわけではないのだが…。

しかし、
決して一般的な合格生ではない自分に一般的な希望的観測をあてはめて安心したり、
逆に文系実務経験なし高齢というネックがあることを一般論としていたずらに悲観したり、
一喜一憂していてもしょうがないということだ。
一般的には難しいかも知れないけど不可能ではない。
一般的に言えばリスクはあるけど絶望的ではない。
分かった上でトライするかどうか。そういうことだよね。

高校のとき、野球部に入ってみたら一般入学生は自分だけで、
同期はみんな、野球入学の特待生だった。
基本的には野球で高校に入ってきて、
大学にも野球で行く人たちだ。
そんなの知らなかったよー
といっても始まらない。
勉強と野球の両立は無理だと思ってどっちかをあきらめてしまっても無理からぬ状況だったが、
20数年前の僕は、四の五の言わず、どっちも歯をくいしばって頑張りぬいた。
当時、野球部の活動と大学現役合格は両立しないだろうというが
一般論だったといっても過言ではないと思うが、
僕はそんな一般論にひるむことなく、最後の3年の夏まで野球部を全うした上で、
大学も、現役で慶応義塾大学に合格した。(この情報はけっこうエントロピー高いぞ!)
これを、若かったからだよ、の一言でくくってしまいたくはないな。
まあ、家族の生活とか背負ってるものは重いから慎重にはならざるを得ないけど、
もうしばらくは四の五の言わずに、今の自分にできることをやってみようと思う。

最近、勉強さぼりがちなんだよね。
合格後、ほとんど休まずにまた、受験勉強に突入してしまったものだから、
さすがに少し息切れ気味。
でも、少しずつでも進み続けるよ。あきらめるのは、いつでもできる。
若い頃の僕は机上の空論でトライしようとしない自分を正当化することはなかった。
もう若くないからということを自分自身に内在する弱気の隠れ蓑にはしたくないと思うのである。

(今日の参考図書)

2007年11月16日金曜日

2007年11月15日木曜日

DHA



元々は必要な栄養はバランスのとれた食事から採る派で、
サプリ派ではなかったのだが、
昨年、今年と、短答、論文の試験2ヶ月ほど前から試験当日にかけては、
DHAのサプリを服用した。
頭にいいらしいので、とにかく、試験当日に頭の調子をピークに持っていくために
いいと思えることは(予算的に都合がつく限り)なんでもやろうと思って
やったことのひとつだ。
今年は論文後も口述に備えて飲み続けていたら、それが習慣になって、
結局今もずっと飲み続けている。
頭がよくなるといわれている他にも血中の中性脂肪を減らす効果もあるとのことなので。
ここのサプリは値段も手頃なので、他にもいくつか飲んでいる。安いので続けられるのがいい。
合格したのがDHAのお陰かどうかは分からないが、
手を尽くして試験当日に頭の調子をピークに持っていこうとしたこと自体は正解だったと思う。
お守りと一緒で、気持ちの問題が大きいと思うが、実際、論文のあの苦しかった状況の中で、
「あきらめない!」という最後のひと粘りにつながったのだと思えないこともない。

2007年11月14日水曜日

クワイエットルームにようこそ

「クワイエットルームにようこそ」を観た。まずまず傑作。
正直、僕にとっては、あまり好みのテイストではないタイプの映画なのだけど、
それでも最初から最後まで全く退屈しないで、心は揺さぶられたからね。
内田有紀もいい。いいんだけど、でも、おじさん的には、
なにはともあれ、蒼井優が最高によかった。
フラガール以来の快進撃はおじさんの心の中で続いているヨ。
おじさんの贔屓目は差し引くとしても、いや、それでも
随所で主役の内田有紀をくってたよ。さりげなくね。
彼女の演技だけでも1000円(シネカノンは水曜日は男も1000円)
は安かった!!

2007年11月13日火曜日

PA会 合格祝賀会

合格祝賀会第3弾は「PA会」。「パー・かい」と思ってました。すみません。
「ぴー・えーかい」とお読みするんですな。
会場では、仕事上で少しつながりのある弁理士の先生にお会いした。
やんわりと会社を辞めることのリスクについて、ご指摘を受けた。
少しめげたけど、それだけ親身になってくれてのご意見だとも思う。
確かに経済的なことだけ考えたら会社にいる方が安全ではあるんだよね。
でも経済的なことが最低ラインでクリアできるなら、
お金に換算できない僕の人生におけるメリットをとるという選択だって
あながち非合理な選択だとも言い切れまい。
まあ、いずれにしろ、なんでわざわざ、わざわざ、わざわざ、
リスクを冒すのか、よーく考えた方がいいのだろうけど、
ほんとうに大事なことは、最終的には理屈より直感で決めた方がいいというのが
僕の生き方でもあるのだからして、
理屈だけでどちらかの選択を完全に正当化することは多分できないことなのだと思う。
まあ、とは言っても、直感だけじゃ猿と変わらないので、
そこにいたるまでは理性でよーく外堀を埋めていこうと思うが。
幸か不幸か時間は少しある。ぼちぼち考えながら歩いていこう。

完全禁煙10日達成

禁煙草を最後に吸ってから今日で10日。ニコチン入りの普通の煙草を最後に吸ってからだと、24日。
まだ、ほんの時折、吸いたくなるときはあるが、
日常を送る上で、とりたてて煙草を我慢しているという感じではなくなりつつある。
なんか突発的に或いは発作的に失敗しなければ、このままいけそう…、大丈夫だと思う。
煙草のことは禁煙が破れたときか、完全禁煙2ヶ月達成(正月三が日明け)のときに
また書こう。便りのないのは禁煙続行の証拠ということで…。

無名会 合格祝賀会

 昨晩は無名会の合格祝賀会へ入って来た。弁理士クラブのに比べると質素な感じだった。まあ、営業マンというよりは職人の集まりと思えば、これはこれでありかなという気がした。後半は就職活動会という感じだったので、今年、就職(転職)の意思のない僕はやや手持ち無沙汰になってしまったが、今晩もこりずにパーティーに参加するつもり。
 そもそもパーティーって、あんまし得意じゃないんだけどね。宣伝部のときも、いろいろと華やかなパーティーはあったけど、あんまし得意な分野ではなかった。何か用事があって話す分には、知らない人でも全然平気なんだが(面接とかはむしろ得意)、とりあえず話すために話すっていうのが、あまり得意ではないんだよね。一種の人見知りかもしれない。まあ、ぼちぼち、いきましょう。先は長い。

2007年11月11日日曜日

今日はさぼっちゃいました

先週、千代田区大会で敗戦したために
野球の試合もなくなり、一日フリー。
今日は一日、たっぷり勉強をするはずだった。
朝一、髪を切りに行った。
これはまあ、予定通り。
その後、子供を友達のうちまで送る。
これもまあ仕方ない。
なんとなくうだうだしているうちに昼になる。
午後から頑張ろう。
どうしてもやる気がおきない。
気分転換に散歩を兼ねて借りていたDVDを返しに行く。
その帰り、ふらっとパチンコ屋に入る。
少しだけのつもりが、思わぬ大勝利。しかし5時間を費やす。
帰ったらもう家族は夕食を食べ終わっていた。
一人でおでんを温めて食べる。
その後、テレビで野球と映画を観てしまう。
今日はおしまい。
こんな日もある。
明日から頑張ります。


2007年11月10日土曜日

合格祝賀会 弁理士クラブ

弁理士クラブ」主催の合格祝賀会に参加してきた。
少し話しをしていただいた
先輩の弁理士の先生から、
文系・43歳の自分も努力次第では、
明細書を書いて食っていけるようになりうるという
話をきけて、少し気が楽になった。
もちろん、相当な努力は必要なのだろうが、
報われる努力ならね。そこは頑張らなきゃしょうがない。

2007年11月8日木曜日

グッド・シェパード

映画を観た。「グッド・シェパード」。今年11本目である。
受験勉強を始めた一昨年は一年で38本観ている。
去年は勉強のため自重して、それでも22本観ているから
今年は多分ここ数年にない少ない本数になりそうだ。
でも合格したのだからよかった、よかった。

会社に入った頃は年に100本くらい観ていた。
映画とともにある人生、ずっと続くものと思っていた。
しかし、続かなかった。
正直、劇場のロビーで、そこが自分の仕事とはもう関係のない場所であることに
一抹の寂しさを覚えることは未だにある。

でも映画が仕事ではなくなって、
かえって純粋に映画が楽しめるようになった気はする。
自分が宣伝するとしたら…とかは、もう映画観ながら考えなくなったからね。

マット・デイモンはエッジが利いてキャラが立っていてよかったけど、

アンジェリーナ・ジョリーは僕的にはトゥームレイダーのときの方が好みだなぁ。

2007年11月7日水曜日

あの世へ報告

タケちゃん。タケちゃんが死んでから、5年たったね。
俺、タケちゃんが死んでから3年間くらいはショック引きずったままで、全然駄目だったけど、
でも2年前、自分なりに一念発起して、人生の後半戦、前向きに生きるために、勉強始めたんだ。
自分がポンコツでないってこと自分自身に対して証明したくてさ、
多分、今まで生きてきた中で一番必死に勉強したよ。
そして、昨日、合格したんだ。弁理士試験ってやつ。
タケちゃん、弁理士って知ってる?多分知らないよね。
俺も3年前はこの世にそういう職業があることを知らなかった。
でも、なかなか面白そうな仕事なんだよ。

ただ、合格はゴールでなくて、新たな目標へのスタートに過ぎなくて、
つまり、まだまだ、これから先の方が勉強しなくてはならないことは多そうなんだけど、
でも、一度は、先の人生なんてどうでもよくなっていた俺にとって、
もう一回、未来に向けてスタートが切れるってことは、ある種、奇跡にも思えるよね。
人生終わったような気持ちでつらい日々を過ごしていた頃には、こんな日が来ることは想像もつかなかったからね。
タケちゃんのところへ行くまで、あと何年残っているかわからないけど、
その間に、あといくつか、ささやかな奇跡を起こしていこうと思っている。
そんな俺のこと、見守っていてくれ。よろしくな。
とり急ぎ報告まで。
友へ 友より

2007年11月6日火曜日

弁理士試験合格

 特許庁の掲示板を見てきた。受験番号を3度繰り返し確かめた。勉強開始から2年余、この2年間はほんとによく勉強したものだ。とりあえず、よかった。ほんとうにたいへんなのはこれからだけど、そのたいへんで楽しそうなことにトライする権利をえたことを素直に喜ぼうと思う。
 N先生、ゼミのみなさん、ほんとうにありがとうございました。みなさんのお陰で2年で合格できました。
そして、何より、2年間支え続けてくれた妻に感謝したい。感謝を具体的な形で返せるようになるまでは、まだ道は遠いのだけど、いつか、きっとちゃんと返すから、それまで待っててな。もうひと頑張りするから。

 
 

2007年11月2日金曜日

TOEIC


とりあえず、通勤の往復、犬の散歩中、聞いている。
シャワーのようにほとんど聞き取れない英語を
ひたすら浴びるのもいいのかもしれないが、
これは、一応、キーになる単語の意味を日本語で逐一言ってくれるので
聞いていてちんぷんかんぷんということはなく、とっつきやすい。
一応、高校までで習った文法が分らないことはないと思われるので、
まずはボキャブラリーを増やすことから始めてみている。
暗記はつらい年頃なのだけど、あるていどは覚えないことにはどうにもならないので。
チャレンジ、チャレンジ。
11月25日からは、Z会の講座にも通学することにした。

禁煙草2週間

 最後にニコチン入りのほんものの煙草を吸ってから今日で2週間。
 今日の昼食後に最後の1本の禁煙草を吸った。
 これから完全禁煙体制に突入する。
 一応、今日から1ヶ月くらいは要注意期間ではあるが、なんとかいけそうな気はする。
 いや、しかし、最初の3日はつらかった。あれをもう1回やり直すことを思えば、今、喫煙を我慢することはたいしたことではないと思える。

2007年10月25日木曜日

禁煙6日目

 昨日は禁煙草を6本吸った。今日も6本の予定。朝食後1服、仕事を始めるときに2服、昼食後に3服、午後3時頃4服、夕方仕事の終わりに5服、夕食後最後の6服というペースだ。これを2日に1本ずつ減らしてゆき、11月3日(土)から完全禁煙に突入する予定だ。
 一服すると、確かに一時的に気分はハイになることが多い。1日に1本だけとかですませられるなら、それもいいかなとも思う。いやいや、それは絶対駄目なんだけどね。一服してしまうと、必ず一服ではすまなくなってしまうから。覚悟を決めて、俺は一生吸いまくるぞと決めるか、禁煙するか、どちらかしかないのだ。
 少し気分が塞ぐ時は、ニコチンの魔力に頼りたくなるときもあるが、ここまで来たら、最後まで行こう。禁煙6日目、まだ、喫煙欲求はある。が、それを我慢することが耐え難い苦痛であるほどではないという感じ。まあ、やり過ごそうとしっかり意志を持っていれば吸わずにやり過ごすことも可能という感じだろうか。
 子供も煙草やめてほしがってたしね。自分のためでもあるけど、家族のためとも思って我慢、我慢。我慢していればその分きっといいこともあるよね。

結核!?

 昨日になっても熱が下がらなかった嫁さんは、ただの風邪ではないかもしれないと思い、朝から少し大きなT病院に検査にいった。すると、いきなりレントゲンを撮られて、「結核の疑いありです」と言われた。
 それから、鼻からパイプを通して胃液を採ったり、肺をCTでスキャンしたりして、結局、その日の午後には、結核の疑いは晴れ、ただの「肺炎」という診断がくだったのだが、午前中、電話で「結核かもしれない」と嫁さんから言われたときは暗澹たる気持ちになった。
 弁理士試験の勉強は、とりあえず一文にもならない。というか出費ばかりがかさんでいく。おかげで、その分、家族に贅沢をさせることができない。それなのに、勉強があることを理由に、家のことは、一切、妻に押し付けているのが現状だ。
 いや、ほんとに、申し訳ないと思っている。そのうえ、結核!?そりゃないよ。と思った。「肺炎」だってこじらせれば命に関わる病気なのだから、それでよかったというのもおかしな話だが、結核というのは、昔とちがって不治の病ではないにしても、完治するまでは、場合によっては1年以上の療養が必要らしく、とりあえず1週間の安静で入院もせずにすんだことは、まあ、不幸中の幸いであったといえる。ほんとによかった。
 これは多分、嫁さんのことを、もうちょい大事にしろよという、神様からの警告に違いない。わかりました。気をつけます。

2007年10月23日火曜日

妻 発熱 娘 働く

 昨日、妻が熱を出してダウン(39.5℃)。7歳の娘は、誰も頼みもしないのに、自分でお風呂を洗って沸かして、食器を食器洗い機にポンポン放り込んでいく。「ママがいない分私が…」とか、口には出さないが、黙々と自分がやると決めたことをやっている。いい娘だ。
 その後久々に娘と風呂に入った。いつもはママと入るのだが、一人で入るのはあまり好きでないようで、「しょうがないなーパパと入ってやるか」といったところだったのだろうが、最近誰かと風呂に入ったことのなかったパパは楽しかったよ。

禁煙4日目

 
人生3度目の禁煙にトライ中(一応半年以上の禁煙に成功したのが過去2回、失敗に終わったものは、数知れず) 。
 先週末のプロキャリアの特許セミナーの終わった後に、ホテルの喫煙スペースで最後の一服をしてから、土、日、月、そして今日、火曜日と禁煙を続行している(禁煙草は吸っている)。土、日、月はつらかった。特に月は、何度自分に負けそうになったことか。今日、4日目、まだ喫煙欲求はあるが、禁煙を続行することが、心身ともに、大分、楽になりつつある。禁煙草を2~3時間に1本ペースで一日7本。明日は6本、明後日は5本、と減らしてゆき、来週中には、完全禁煙体勢に移行するつもり。最初の3日は相当につらかったが、そこを禁煙草でなんとかやり過ごせたので、後は何とかというところだ。過去2回の禁煙も同じようなペースで禁煙草を併用しながら一応成功している。ここまで来たら、今後もある程度の意志は必要であるにしても、最初の3日間のような苦しさはもうないはずだ。とりあえず、11月の23~25日までの3連休、そこまでは、強い意志をもって禁煙を続行していきたい。
 半年たっても喫煙欲求が完全に消滅するということはないかもしれないが、これまでの経験上では、1ヶ月我慢できれば、とりあえず禁煙をさほど意識せずに禁煙できるようにはなる。(食後とかに、いちいち「一服」を意識しなくなる。煙草の自販機の前を通り過ぎるとき、無意識で通り過ぎるようになる)
 と、いうわけで、今週一週間は、禁煙最優先週間ということにして、ストレスのかかる勉強などはお休みしている。まあ、どこかでこの休みを取るなら、今が一番いい時期だと思うので、今週いっぱいは無理せず、ゆるゆると、ゆくつもり。とにかく、間違ってもちょっと一服ってなことにならないことを最優先に過ごしていくことに決めてしまった。
 弁理士への道、第2ステージの勉強は、ノンスモーカーとしての再出発を兼ねて来週から本格始動ということで。

2007年10月19日金曜日

TOEICとウォークマンと基本情報技術者

 
弁理士の資格はとれても、実務経験なし、技術系素養なし、では、先がつらそうなので、先のために、情報系の素養と英語力をつけようと思っている。昨日、アイテックの基本情報技術者の通信教育を申込み、TOEICの入門書2冊を購入し、リスニング用にウォークマンを購入した。 ウォークマンは一番安い1Gのタイプにしといたが、それでも16時間音声を保存できるのだから充分だ。カセットのウォークマンとはまさに隔世の感である。

 夜、基本情報技術者の予習を兼ねて、去年資格を取った情報セキュアドの基本講座のDVDを視聴した。久々に2進数とか16進数とかビットとかバイトに触れた。かなり忘れているが、一度は理解したことなので、基本はなんとかなるだろう。とりあえず、来年の春に基本情報技術者、秋にソフト開発技術者の試験に合格することが目標だ。

 で、今朝はウォークマンで英語のリスニングを行いながら通勤した。英語は高校までは得意科目だったが、そこで止まっている。20年のブランクはうまるのだろうか?語学についてはクリティカルエイジを超えていてもう駄目だという説もあるが、まあ、やるだけやってみるしかない。リーディングに関しては、大学受験時のレベルに戻せばけっこういけると思うので、なんとかなると信じることにする。こちらは、まず来年の春までに600点、来年中に750点、再来年の誕生日(6月)までに800点を目指すことにしている。

 煙草は結局プカプカ…。週末から禁煙することにした。

2007年10月17日水曜日

禁煙草

 
試験が終わったら禁煙するつもりだった。試験が終わってから2日目の今日も普通にプカプカ吸っている。今日でやめよう。去年の7月から今年の1月までの半年と今年の2月から今年の8月までの半年、2回禁煙して、2度とも半年で禁を破ってしまった。3度目の正直だ。でも明後日からにしょうかな…。いや、明日からだ。明日から禁煙草三度出動だ。

2007年10月15日月曜日

弁理士 口述試験

本日、弁理士試験の最終試験である口述試験を受験してきた。
合格発表は11月6日(火)なのであとは結果待ちだが、多分大丈夫だと思う。
各科目とも1回ずつくらい助け舟は出してもらったが、沈黙やパニックに陥ることはなく、まずまずスムーズに最後の質問までたどりつくことができた。(3科目でCが2つ以上なければ合格なのだが、特実と商標は時間が少しあまって最後はなごやかに雑談だったので、少なくともこの2つの科目でCということはないと思う。)
もっとガチガチに緊張するかと思ったが、緊張感が足りないよりはかえって集中力が発揮できる程度のほどよい緊張の度合いだった。1回目の模試のときの方がよほど緊張した。
昔から、わりと試験というものには強かった。緊張等で力を発揮できなかったということは一度もない。
家で練習問題を解いてるときに解けないような問題が、本番では火事場の馬鹿力で解けてしまい、結局、本番のときがどの模試よりよくできたというパターンがほとんどだ。というか、それだけで試験というものを乗り切ってきた感もある。
今日もその類である。家で過去問を見ながら自問自答している分には、分からなくて解答をみてしまうであろう質問が2つほどあったが、2つとも、なぜだか、とっさに、それなりに正しいであろう答えがどっからともなく頭の中に降りてきて、それを、そのまま堂々と答えることができた。
まあ、今日のところはよかった、よかったということで、よいと思う。ああよかった。
ただ、試験はスタートラインに着くための予選みたいなもので、だから、1日、2日はちょっと休憩するけど、また、すぐに本番(実務)に向けて勉強を再開するつもりでいる。ここまで来てしまえたから言えることかもしれないが、丸腰で特許業界に参入しようとしている僕にとって、この試験の合格は、試験にうかるための勉強を早く切り上げて、次の勉強に進めるようになったという意味しかない。これからが大変なのである。まあ、そういう意味で早く切り上げることができそうなことはよかった、よかったなのだけど。
道は険しく長い。でもそれを楽しんでいきたいとも思う。

2007年10月12日金曜日

クロックス


昨晩、娘(小学二年生)に「クロックス」のサンダルが届いた。
「お友達はみんな持っている」そうで、前からほしがっていたのだが、
僕と妻は「学研のプリントが2年生の分全部終わったらね。」と
条件交渉に持ち込みつつしぶっていたところ
娘は「ママのバカ、いじわる。」という捨て台詞を日記に残しつつ、
そそくさと僕の母(つまりおばあちゃん)に直接交渉し、
自力(?)でクロックス・ゲットに成功してしまった。
先週末に妻と母と娘の3人で自由が丘の靴屋を回ったがサイズがなく、ネットで探しあてて、注文したのが、やっと昨晩届いたのだった。
娘はさっそく家の中で履いていたが、少し履いた後、
サンダルの底についたマリィ(ビーグル・♀3歳)の毛を丁寧に台所の水道で洗い落としていた。
 「靴なんだから、底が汚れるの当たり前じゃん。そんなのいちいちいやがってたら履けないじゃん」
と上の息子(小学六年生)が正論をはいたが、娘はまったく無視して大事そうにクロックスを箱の中にしまっていた。
 僕は30年ほど前に母に買ってもらった「パンサー」のことを思い出した。
僕が小学校の五年生くらいの頃だったろうか…。当時流行りだしていた「パンサー」というスニーカーがあった。
当時僕がいつも履いていたいわゆるゴム底のひもなしの運動靴は多分300円くらいのものだったと思う。
パンサーは980円とかだった気がする。今になれば最初のうち親が買いしぶった気持ちはよくわかる。
でも友達の履いているパンサーがうらやましくて、さんざん駄々をこねた僕に、結局母はパンサーを買ってくれた。
ある日「これで買ってきなさい」と言って1000円札を僕に渡してくれた。
僕は靴屋まで走っていって青いパンサーを買った。
その日は、嬉しくて寝るまで部屋の中で履いたまま歩き回っていた。
その後、何足靴を買ってもらったり買ったかわからないが、あれが一番嬉しかったな。と、そんなことを思い出した。

2007年10月10日水曜日

早起き

口述試験まであと5日。今日は朝5時に起きて勉強をした。本番は午前中だから、当日、午前中に頭が冴えわたるように、今のうちから朝型ペースにしようと思って、2,3日前から早起きを続けている。しかし朝5時で思い出したが、20数年前、桐蔭学園高校の野球部の下級生のときは、毎朝5時起きだったな。緑が丘駅5時49分発。毎日、判で押したように、それに乗って登校。1本でも乗り過ごすなんてことはありえなかった。で、帰りはだいたい市ヶ尾駅発21:…、たしか17分とかだったと思う。(ううん…、これは朝型と言えるのだろうか?)帰ったらだいたい10時頃だったもんな。ほんとに家は飯食って寝るだけの場所だった。往復の電車の中の時間は生理的に必要不可欠な睡眠時間だった。帰りはしばしば寝過ごした。それでもバットの素振りだけは毎晩欠かさずやってたんだから、あの頃の僕はけなげなもんだ。泣けてくるぜ。上級生になって、緑ヶ丘6:39発に乗れるようになったときは嬉しかったな。でも、そんな渦中にいたときは、決して、充実感にあふれてギンギンに前向きでばかりいたわけではなかった。むしろ、単純明快に「つらいことばかり」な毎日だった。でも、おやじになった今振り返る分には、悪くない思い出だったりする。幸福な高校時代だったといえるんだろうな。
さて、いつか老人になったとき、「今」のことを悪くない中年時代だったと思えるだろうか…。まあ、そんなことはおいといて、とりあえず、目の前の5日間、悔いを残さないように頑張ろう。明日も5時起きだ。

2007年10月7日日曜日

15時間睡眠

風邪で頭が重く、集中して勉強できる状態ではなかったので、7時過ぎに床に入り、今朝は昼近くまで寝た。15時間近く寝たことになる。よくこんなに寝れるもんだ。しかし、睡眠が功を奏したのか、風邪の症状は1日で軽減し、まだ、多少、鼻はつまっているが、頭が重いのはすっかり治ってしまった。
勉強予定は大分遅れてしまったが、こじらせて、頭が重い状態がぐずぐず何日も続くよりはよかったと思う。しかし15時間睡眠は最近なかったよな。いつ以来だろ。

2007年10月6日土曜日

風邪

昨晩は、春秋会主催の口述模試を受けてきた。本試験と同じ会場(ホテル)で行なわれたので、下見も兼ねて行ってきた。結果はまずまずといったところか。多少、助け舟もだしてもらいながらではあったが、まあ、C(不合格)はつけられないだろうという程度にはこなすことができた。本番も同じようにできればいいのだが…。
で、今日から3連休。いよいよラストスパート、といかなくてはならないところだが、困ったことに風邪をひいてしまったようだ。昨日から、普段はほとんどでないくしゃみが、時々でるな、と思っていたのだが、今日は朝からくしゃみと鼻水、昨晩あまり寝られなかったことも合わせて頭が重い。午前中、予定の半分くらいしか勉強がすすまなかった。これ以上ひどくならなければいいのだが…。
しかし、季節の変わり目で、急に涼しくなったこともあり、季節柄、風邪をひいてもおかしくないことを考えれば、今週でまだよかった。当日、熱でもでたら、しゃれにならないわけだから。まあ、ひいちゃったもんはしょうがないので、ここは、よい方に考えておこう。そうそう全てがスムーズにはいかないわな。やれやれ…。

2007年10月5日金曜日

口述模試

昨晩は、会社が終わったあと、「弁理士クラブ」の口述模試を受けてきた。あと10日ほどに迫った弁理士試験の最終試験である口述試験の模擬試験である。口述試験では、特許法・実用新案法、意匠法、商標法の総合的な理解と知識が試験官との面接による一問一答形式で試される。ここで落とされる人間は1割くらいしかいないのだが、ただの1割ではなく、全受験者の中ですでに7%くらいに絞られた人間の中での1割だから、やはり不安はぬぐえない。論文式試験の成績が芳しくなくギリギリで通った人間には、厳しい質問がされ、答えられないと落とされるという説もあり、それがほんとだとすると、僕の場合もギリギリで通った人間に該当している可能性がけっこうあるので、ますます状況はシビアだ。
で、模試の様子としては、
最初の商標のとき、商標権の移転の要件が、頭の中で混乱し、しばし沈黙してしまった。模試の先生にあとからアドバイスされたが、「とにかく、全部分らなくても、分っていることだけでも、なんかしゃべった方がいいですよ。」とのことだった。
口述試験では「沈黙」は「金」ではなくて「禁」ということらしい。「以心伝心」とか「目は口ほどにものを言う」もここではありえないのだ。
別の先生には「たとえば意味もなく微笑むとかもした方がいいかもしれませんよ。」とも言われた。「さあ、なんでも聞いてくれ」と、気合を入れていたいただけなのだが、そんなに恐い顔をしていたのだろうか?スマイル!?でも、問題がわからないときに、助けをもとめて、にやにや微笑んでも助けてもらえないだろうしな…。まあ、相手も人間だから少なくとも敵意は感じさせない方がいいとは思うが、この辺はわざとらしくなりそうだから、まあ、普通にやろうと思う。
といった具合だった。
ちなみに今晩も別の会派(春秋)の模試がある。そして次は本番だ。
あと10日、最後の(最後にしたい!!)弁理士受験生生活を悔いの無いように過ごして行きたい。

2007年10月3日水曜日

弁理士口述試験まであと12日

最後の関門である 弁理士口述試験に向けて日々勉強中。
合否に直接大きな影響はないのだろうけど、
「なぜ弁理士になりたいのですか」
ということについては、質問される可能性があるので、これもコンパクトにまとめておいた方がよさそうだ。
先日のLECの模試では、この質問に対して答えに窮し、しばし沈黙してしまった。
そもそものきっかけは宣伝部から法務部への異動だった。そして、どうせ法律に携わるなら、本格的に法律の勉強をしたいと思い、ちょっと調べてみた範囲では、弁理士の仕事が一番面白そうだったというのがとっかかりだった。発明の権利化をサポートするって、どこか映画の宣伝とマインド的には似ている気がしたし…。
それと、もう一つ、その頃読んだ本(「法とは何か」)にあった「芸術は美を追求する。法は正義を追求する。」という言葉が、僕にとっては大方向転換の大きなきっかけでもあった。いや、もちろん、仕事にしたら、そんな、かっこいいことばかり言ってられないのであろうことは容易に想像はついたが、でも、根本的なところには、そういうことが、きっとあるはずだとも思うし…。
あともう一つは、勉強そのものがしたかったというのもあった。大学時代は体育会に所属していて、それはそれで、いろいろあって、他では体験できない感動もあり、それなりに幸せな時間は過ごせたのだが、でも、大学時代にちゃんと学問に取り組まなかったというのは、正直、僕の中で小さくない悔いとして残っていて、それをどこかで取り戻したいという気持ちもあった。
と、いうことやら何やらで、結局のところは「人生の後半戦、いっちょやってみるか!」、と、いうくらいの大雑把なノリで、法律そのものや弁理士という職業について漠然としたイメージ以上の知識は持ち合わせていないまま、とりあえず走り始めちゃいましたというのが実際のところだ。その決断は、僕の人生の中でもけっこう大きな決断だったんだけど、なぜか、そんなに迷いはなかった。そこからは、けっこう大変だったけど…。
ああ、あれから2年か…。ここまで来たら、何としても今年合格したいものだ。
ムム、全然コンパクトにまとまってないぞ。
まあ、いいか。「現場思考(出たとこ勝負)」でなんとか乗り切ろう。